16時――「やっと商談が終わりましたね」馬車の中でリカルドがルシアンに話しかけてきた。「……ああ、そうだな」馬車の窓から外を眺めながら憮然とした表情で返事をするルシアン。「ルシアン様……先ほどの話、まだ気にされているのですか?」「当然だろう? 今度お会いするときは執事ではなく、奥様を同伴して来られることを期待しておりますよ。などと言われたのだからな。絶対に彼も祖父の回し者に違いない」「ルシアン様、やはり本来同伴するのは私では無かったのですね? だとしたら、すぐにでもイレーネさんを婚約者として現当主様に紹介されるべきではありませんか?」「ああ、そうなのだ。分かってはいるのだが……若干、彼女については不安なことが……ん! おい! 馬車を止めてくれ!」ルシアンの顔色が変わり、御者に命じる。「ど、どうしたのですか? ルシアン様!」突然顔色を変えて馬車を止めたルシアンに驚くリカルド。「……彼女だ!」ルシアンは馬車の扉を開けた。「え? 彼女? 誰です?」「イレーネのことに決まっているだろう!」大きな声で答えると、ルシアンは慌てて馬車から飛び降りると駆け出していく。「ルシアン様!」リカルドも慌てて馬車から降りるとルシアンの後を追う。「くそ! 一体イレーネは何をやってるんだ!?」ルシアンの視線の先には大量の荷物抱えて歩くイレーネの姿があった。しかも両肩からも荷物がぶら下がっており、町を歩く人々は奇異の目で彼女を見ている。細い身体でフラフラと歩くイレーネは見るからに危なっかしい。「イレーネ!!」ルシアンは大声で名前を呼んだ。「え? キャア!!」突然名前を呼ばれたイレーネはバランスを崩して転びそうになった。「危ない!!」ルシアンは咄嗟に背後からイレーネを支え、彼女が手にしていた荷物がドサドサと足元に落ちる。「あ……ルシアン様? お仕事はもう終わったのですか?」抱き留められながらイレーネはルシアンを見上げる。「ああ、先程終わったところ……じゃなくて! 一体君は何をしていたんだ!? 女性がこんなに沢山の荷物をひとりで抱えて歩くなんて……! 危ないじゃないか!」そこへリカルドも追いつき、イレーネが持っていた大量の荷物を見て目を見開く。「イレーネさん……まさか、たった1人でこの荷物を持って歩いていたのですか?」「はい、そうで
「イレーネ、この荷物……中に一体何が入っているんだ? 中々の重さだったのだが?」ルシアンが隣の席に座るイレーネに尋ねる。ちなみに床の上にも、向かい側に座るリカルドの隣にも荷物が置かれている。「ルシアン様、あまり女性の荷物の中を知ろうとするのは……いかがなものかと」小声でリカルドに咎められ、軽はずみな質問をしてしまったことに気付くルシアン。「あ……ゴホン! そうだったな。すまない……野暮なことを尋ねてしまって。(そうだったよな……仮にも女性、男性には知られたくない買い物だってあるだろうし……デリカシーに欠ける質問をしてしまった)すぐに反省するルシアンだったが、イレーネからは予想外の言葉が飛び出す。「まぁ、よくぞ聞いて下さいましたわ。まずはどうぞご覧下さい」イレーネは足元に置かれた紙袋の中から購入した品を取り出した。「……これは……布地か?」水色の光沢のある生地を手にしたルシアンが尋ねる。「はい、そうです。色々な布地がおいてあって、どれも目移りしてしまってつい、色々な布地を買い過ぎてしまいました。今からどのような服を縫おうか、考えるだけで楽しみです」ニコリと笑うイレーネ。「何だって? それではここにある荷物は全て布地なのか?」ルシアンは馬車に置かれた荷物を見渡した。「ええ、勿論です。布ってまとめ買いすると、結構重たいものですね。こんなに一度に沢山買ったことは無かったので意外に重くて、運ぶのに苦労していたところだったのです。本当に馬車に乗せて頂き、ありがとうございます」「「……」」そんなイレーネをルシアンとリカルドは呆れた目で見る。2人がかりで馬車にこれらの荷物を運ぶだけでも重くて大変だったのに、それをイレーネはたった1人で抱えて歩いていたからだ。(さすがはイレーネさん。本当に知れば知るほど奥が深い方だ)(信じられん……こんな細い身体の何処にあんな力があるのだ? だが、1年間の契約とはいえ、仮にもマイスター家の嫁になるのだから自覚をしてもらわなければ)そこでルシアンはイレーネを説得することにした。「と、とにかくだ。今度から買い物に行く時は誰か人を連れて行くように。仮にもそんな身なりで大量の荷物を抱えて歩いていれば周囲から目立って仕方がないからな」「あ……言われて見れば確かにそうですね。申し訳ございません……私が浅はかでした」
16時半――「大変だ! ルシアン様の馬車が帰って来たぞ!」ひとりのフットマンが慌てた様子で使用人たちのいる休憩室に駆けつけてきた。「何だって!?」「もうお帰りになったの!?」「た、大変だ!!」お茶を飲んでいた十数人の使用人たちがたちまちパニックになる。「イレーネ様がまだ戻られていないのに!!」そう、彼らが慌てる理由はただ一つ。それはイレーネが未だにマイスター家に戻っていないことだった。「ど、どうしよう……どうすればいいんだ!」「落ち着け……まずは一旦落ち着こう」「何言ってるのよ! 落ち着いていられないでしょう! もう馬車はそこまできているのでしょう?」「そうだ! まずは……」「とりあえずお出迎えだ!!」使用人達は我先にと休憩室を飛び出し、エントランスへ向かうのだった……。**『お帰りなさいませ! ルシアン様!』「あ、ああ……ただいま。珍しいこともあるものだな……一体どうしたのだ? こんなに大勢で出迎えなんて」10人以上の使用人達に出迎えられたルシアンは驚いていた。「はい。皆で集まっていたところ、ルシアン様の馬車が屋敷へ向かってくるのが目に入りました。そこで、その場にいた全員でお迎えにあがりました」リーダー格のフットマンが愛想笑いをしながら答える。そして集まった使用人達も笑顔でコクコクと頷く。頷くも……彼らの焦りはピークに達していた。(イレーネ様の所在を尋ねれたらどうしよう……)(どうか、何も聞かれませんように!)(くそ! どうして俺は今日に限って、非番じゃないんだ!)各々が不安な気持ちを抱えながら、ルシアンの言葉を待つ。「そうだったのか。なら都合がいい。数人、馬車から荷物を降ろすのを手伝ってくれ」ネクタイを緩めながら、ルシアンが命じる。「「「はい!」」」その場にいた3人のフットマンが返事をしたその時。「ただいま、戻りました」「遅くなって申し訳ございません」リカルドと共にイレーネがエントランスに姿を現した。『イレーネ様!?』使用人達が一斉に彼女の名前を叫んだ。すると……。「本日は、皆さんに行先を告げずに勝手に外出してしまってご迷惑をおかけしてしまいました。今後出掛ける際は必ず声をかけるようにしますね?」そしてイレーネは会釈した。**――19時イレーネとルシアンは向かい合わせで食事をしていた
「え? 専属メイドをつけて欲しいとイレーネさんが仰ったのですか?」ルシアンの書斎に呼び出されたリカルドが目を見開いた。「そうだ。夕食の席でイレーネが頼んできたんだ。だからリカルド。お前が彼女にメイドを選んでやってくれ」「え? 私がですか?」「ああ。……何か問題でもあるか?」「いえ、問題というか……メイド選出については、私よりもメイド長が適任だと思います。それに相性の問題とか、色々あるでしょうから最終的にはイレーネさん本人に決めて頂いた方が良いのではありませんか?」「なるほど……確かに言われて見ればそうかもしれないな」リカルドの言葉にルシアンは頷く。「よし、それではリカルド。お前の方からメイド長に伝えてくれ」「はい、分かりました」「出来るだけ、早急にイレーネに専属メイドをつけるように言うんだぞ?」(彼女は大胆な性格だ……野放しにしておけば、何をしでかすか分からないからな)念押しするルシアン。「ええ、私もそのつもりでした。お任せください」(イレーネさんにお目付け役のメイドがいれば安心だ。これで我々一同ハラハラすることが無くなるだろう)口にこそ出さないが、ルシアンもリカルドも心の中で似たようなことを考えるのだった――****翌朝6時。イレーネはいつものように部屋で朝の支度をしていた。長い金の髪をブラッシングしていると、突然部屋の扉がノックされる。――コンコン「あら? 誰かしら?」ブラシを置くとイレーネは扉を開けに向かった。「はーい、今開けますね……え?」扉を開けたイレーネは驚いた。何故なら目の前にはメイド長を筆頭に、20人近いメイド達が勢揃いしていたからである。「あの……これは一体……?」イレーネは目をパチパチさせると、メイド長がにっこり微笑んだ――****――8時「イレーネ……今日は遅いな。いつもなら7時半にはダイニングルームに現れるのに」テーブルに向かい、新聞を読んでいたルシアンは壁の時計を見た。「まさか、また何か問題でも起きたのか?」(何しろ彼女の行動は全く読めないからな……部屋に様子を見に行った方が良いだろうか)思わず立ち上がりかけた時。「ルシアン様、おはようございます。お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした」イレーネがダイニングルームに現れた「あ、ああ。おはよう。それでは食事にしようか
朝食後、書斎に戻ったルシアンはリカルドを呼び出した。「ルシアン様。お呼びでしょうか?」「ああ。リカルド、今日、明日のお前の予定はどうなっている? 何か外出する予定でもあるか?」姿見の前でネクタイをしめながら、ルシアンがリカルドに話しかけてきた。「いえ? 特に外出する予定はありませんが……」「そうか、なら出かけるぞ。お前も準備をしてくれ」「え? 本日もですか? 一体どちらへ行かれるのです?」「祖父のところだ……俺に婚約者ができたことを報告に行くのだ。イレーネにはメイドが……まぁ、日替わりだがつくことが決定したのだから俺とお前が不在になったとしても……多分大丈夫だろう」「え? ええ……そうかもしれませんが、これはまた随分と急な話ですね。どうなさったのですか?」するとルシアンが眉をひそめた。「ゲオルグの奴に先を越されないためだ。一刻も早くイレーネを祖父に紹介し、俺をマイスター家の時期後継者として認めてもらわなければならないだろう?」「なるほど……確かにその通りですね。分かりました。では早急に用意してまいります。ですが当主様に会いに行かれるのでしたら、日帰りは無理でしょうね。何しろ汽車で半日はかかる場所にありますから」現当主であるルシアンの祖父は、半年ほど前に体調を崩して今はマイスター家の別荘で療養生活を送っている。「そうだ。幸い、明日から連休に入る。その間に祖父に会いに行こうと思っている。……全く、電話があれば話は早くて済むのに……」ルシアンがため息をつく。「……仕方ありませんよ。当主様にとって、電話はまだ目新しくて抵抗があるかもしれませんね。では、すぐに私も準備をして参ります」「用意ができたら、また部屋に戻って来いよ」「はい、かしこまりました」そして、ルシアンとリカルドは慌ただしく準備を始めた――****――11時「まぁ、今から『ヴァルト』に行かれるのですか?」イレーネは突然部屋を訪れたルシアンを前に目を見開いた。「ああ。君と祖父を会わせる前に、祖父と話をしてくるつもりだ。俺には君という婚約者ができたということ伝えにな」「ヴァルトは、美しい森林で有名な場所でしたよね。そちらにルシアン様のお祖父様がいらしたのですか」「そうだ。『ヴァルト』にはリカルドも一緒に連れて行く……だから、その……」ルシアンの歯切れが悪くなり、
「おとなしく待っていてくれと言われたのだから、ルシアン様が戻られるまでは何処にも出かけずにいたほうが良いわね」ルシアンたちが出かけると、イレーネは少しの間思案した。「そうだわ、生地を沢山買ってきたのだから洋裁でもしましょう」そこでイレーネは鼻歌を歌いながら買ってきた生地をテーブルの上に広げて洋裁の準備を始めた。「どの色の生地で作ろうかしら……」イレーネは、うっとりしながら生地を見つめて笑みを浮かべる。ある人物が屋敷に近づいてきていることも知らずに――****――その頃。マイスター家の扉の前にはある人物が立っていた。「今日こそ、ルシアン様に会わせてもらうんだから! その為に今まで家で必死になってレッスンを受けてきたのですもの!」意気込んでマイスター伯爵家を訪れたのは、ブリジットであった。以前にリカルドに言い含められるように帰らされてから、彼女は家庭教師からの厳しいレッスンをサボることなく受けてきた。そしてようやく堂々と外出する権利を両親から得られることができたのだ。「ブリジット様、それでは私はこちらでお待ちしておりますので」ブリジットの御者兼、付き人をしている青年がエントランスに立つ彼女に声をかける。「いいわよ。ジョージ。あなたは帰りなさい。だって何時にこのお屋敷を出るか分からないじゃない」「え!? ですがそうなりますと、お帰りはどうなさるのですか?」「タクシーに乗って帰るわ」腕組みするブリジット。最近貴族令嬢の間では目新しいタクシーに乗るのが流行になっていた。「タクシーですか……?」ジョージと呼ばれた男性は首をひねる。「ええ、そうよ。この間アメリアと外出したときに、初めてタクシーに乗ったのだけど……」そこでブリジットは言葉を切る。何故なら、町で偶然出会った女性のことを思いだしたからである。その女性というのは……勿論イレーネのことだ。「……タクシーのせいでいやなことを思い出してしまったわ。全く、あの女……あんな貧しい身なりをしておきながらマダム・ヴィクトリアの店であんなに沢山買い物をして小切手を出すなんて……」「ブリジット様? どうされましたか?」背後から声をかけるジョージ。「いいえ、何でもないわ。とにかく、ジョージ。お前は帰りなさい」そう言ってシッシと手で追い払う素振りをするブリジット。ここで彼女に歯向か
「ブ、ブリジット様。ほ、本日はどのような御用向きでこちらにいらっしゃったのでしょうか?」本日、ドアマンを勤めるフットマンがビクビクしながら作り笑いを浮かべる。「どのようなですって? そんなことは決まっているじゃない。ルシアン様に会いに来たのよ」きつい目をますます吊り上げるブリジット。「で、ですがルシアン様は本日から出張で不在なのですが……」「そんな嘘、通用するとでも思っているの? 今日こそ会ってもらうまで絶対に帰らないわよ! そんなことよりいつまで客をエントランスに立たせておくつもり? 早く部屋に通しなさい!」我儘伯爵令嬢、ブリジットは強気な態度を崩さない。「か、かしこまりました……」弱気なフットマンは心の中で泣きながら、しかたなくブリジットを応接間に案内することにしたのだった――****「何故、ブリジット様を居間に通してしまったんだ!?」リカルド不在の間、筆頭執事を努めることになった第二執事ハンスの声が詰め所に響き渡る。「そ、そんなことを言われても、相手はあのブリジット様ですよ? 断れるはずないじゃないですか!」半泣きになるフットマン。「全く……! 一体どうすればいいんだ? あの様子ではテコでも動かないだろうな……」事前にブリジットがいる部屋の様子を確認していたハンスは困ったように腕を組む。「それにしても、何故ブリジット様はルシアン様に会いにいらしたのかしら? もうイレーネ様という婚約者がいるのに……」メイド長がため息をつく。「それだ!」ハンスがパチンと指を鳴らす。「何がそれなんですか?」別のフットマンが尋ねる。「イレーネ様だよ。ルシアン様がいない今、あの方がこの屋敷の主人と考えてもおかしくないだろう? おまけに相手はルシアン様に想いを寄せているブリジット様だ。この際、イレーネ様に対応していただくのが一番じゃないか?」「なるほど! 言われてみればそうですね!」半泣きだったフットマンが手を叩く。「でも……大丈夫なのかしら……あの方は時々、大胆な行動を取られるから……」メイド長の顔に不安げな表情が浮かぶ。「だから、なおさらいいんじゃないですか。この際、イレーネ様がブリジット様にはっきり告げればいいんですよ。『ルシアン様は私の婚約者なので、もうまとわりつくのは金輪際、やめていただけませんか?』という具合に」妙に演
イレーネは上機嫌で型紙を当てて生地を裁断していた。「フフフ……こんなに素敵な布地にハサミを入れるなんて初めてだわ。今までは貰い物か安物の生地で服を作っていたから」 その時。――コンコン扉がノックされた。「あら? 誰かしら?」テーブルにハサミを置くと、イレーネは扉を開けに向かった。「お待たせしました。あら? あなたは確か……」扉を開けると、目の前にはメイドのアナが立っている。「はい、イレーネ様。私は本日、イレーネ様のメイドを務めさせていただきますアナと申します。よろしくお願いします!」元気よく挨拶をするアナ。「アナさんね? はじめまして。こちらこそ、これからよろしくね。でも今のところ、手伝ってもらうことは何も無いので大丈夫よ。何かあるときは呼ばせていただくわね?」笑顔でイレーネは扉を閉めようとしたので、アナは慌てた。「あ! ちょ、ちょっとイレーネ様! お待ち下さい!」「え? 何かしら?」扉をしめかけたイレーネは首を傾げた。「実は、ルシアン様に会いにお客様がいらしています。ですが、ただいまルシアン様は不在ですよね?」「ええ、そうね」「それで、代わりにイレーネ様がお相手して頂けないでしょうか? ルシアン様が不在の今、このお屋敷の代理主人はイレーネ様を置いて他にいらっしゃいませんので」アナの言葉にイレーネは少し考えた。(私はルシアン様と1年間の雇用関係を結んだだけの関係。けれど、それでも仮とは言え妻になるわけだし……)「分かりました、そういうことでしたらお客様のお相手をさせていただきます」イレーネはにっこり笑みを浮かべる。「本当ですか!? ありがとうございます! お客様は居間でお待ちになっております」「あまりお待たせするのはいけないわね。ではすぐに案内してもらえる?」「はい! イレーネ様!」「それで、どなたがいらしたのかしら?」イレーネは廊下に出ると、尋ねた。「はい。その方は……」アナはブリジットの名を口にした――****「……全く、いつまでこの屋敷の人たちは待たせるのかしら。今日はリカルド氏もいないみたいだし……あら? 美味しいお茶ね」ブリジットがティーカップに口を付けた直後……。「お待たせ致しました、ブリジット様」イレーネが居間に現れた。「え? あなたは誰?」突然現れた見知らぬ女性に、ブリジット
その日の夕食の後――「本当に大したお方ですね、イレーネさんは」書斎に紅茶を淹れに来たリカルドがルシアンと話をしている。「何が大したお方だ。ブリジット嬢と友達になったと聞かされて俺がどれだけ驚いたと思っている。全く……これでは心臓がいくらあっても足りなくなりそうだ」しかめた顔で紅茶を飲むルシアン。「で、ですが……まさかイレーネさんが、ルシアン様だけでなくブリジット様まで懐柔してしまうとは……クックックッ……」リカルドは肩を震わせ、左手で顔を覆い隠している。「リカルド……お前、面白がっているだろう? 大体、懐柔とは何だ? 俺は別にイレーネに懐柔されてなどいないが?」「そう、そこですよ。ルシアン様」「何だ? そことは?」「イレーネさんのことをそのように呼ぶことですよ。今までどの令嬢全てにおいても敬称つきで呼ばれていたではありませんか? ……あの方を除いては」「……」その言葉に黙り込んでしまうルシアン。(しまった。少し余計なことまで口にしてしまったかもしれない)黙り込んでしまったルシアンを見て、リカルドは慌てたように話題を変えた。「そ、それにしても私たちがほんの3日留守にしていただけなのに、イレーネさんは既にこの屋敷で自分の地位を築き上げていたようですね。使用人たちが口を揃えて言っておりましたよ? イレーネ様はルシアン様の不在中、立派な女主人を務めておりましたと」「……まぁ、彼女はあんな細い身体なにのに、肝は据わっているからな」「ええ。ですからきっと現当主様はイレーネさんのことを気に入ると思いますよ」「だといいがな。だが、気に入られなくても構うものか。どうせ彼女は1年限りの契約妻なのだから」(そうだ、一刻も早くマイスター家当主に認めてもらうためにもイレーネを祖父に会わせなくては……)そして再びルシアンは紅茶を口にした――****――翌朝、朝食の席「え? 来週、ルシアン様のお祖父様に会いに行くのですか?」フォークを手にしていたイレーネが目を見開く。「ああ、そうなる。祖父に俺を次期当主に認めてもらうには結婚相手である君を引き合わせなくては話にならないからな。祖父は気難しい男だ。不安なこともあるかもしれないが……」「御安心下さい、ルシアン様。何も不安に思うことはありませんわ」「は? い、いや。俺が言ってるのは……」その言
――3日後ルシアンとリカルドはマイスター家の帰路に着いていた。「それにしても、以外でしたね。現当主様がすんなりとルシアン様の婚約者の存在をお認めになるとは」馬車の中でリカルドが楽しげに話している。「結局、祖父は早く俺を結婚させたかっただけなんだよ。……現に、すぐに婚約者を連れてくるように言ったじゃないか。虚言だと疑っているのかもしれない」不貞腐れた様子で窓の外を眺めるルシアン。「う〜ん……そうでしょうか……イレーネさんの身上書もお持ちしたのに……写真もつければ信用して頂けたのでしょうか?」「だが写真は現像に時間がかかる。どうせ、遅かれ早かれ祖父に紹介しなければならないんだ。とりあえず、祖父はイレーネを認めたということだ。彼女にそのことを報告し、今度は2人で『ヴァルト』に行く」すると、その言葉にリカルドが目を輝かせる。「2人きりで『ヴァルト』に行くということですね? まるで婚前旅行みたいで素敵ですね〜最近は結婚前のカップルが2人だけで旅行をするというのが流行らしく……え? あ、あの〜……」ルシアンが恨めしい目つきで自分を睨んでいることに気づいたリカルドの言葉が尻すぼみになる。「リカルド……」ハァとため息をつくルシアン。「は、はい。何でしょうか?」「お前は一体何を考えているんだ? 俺と彼女はあくまで1年だけ夫婦を演じるとい契約を結んだだけの関係。それを何が婚前旅行だ。……全く、能天気だな。こちらはイレーネが祖父の前で何か失態をおかしたりしないか、今から不安でたまらないというのに……」「……そんなに心配でしたら、早々にイレーネさんにはお断りして次の方を探せばよろしかったのでは?」「……」恐る恐るリカルドは口にするも、ルシアンは無言を通す。(やはり……本当はイレーネさんのことを心の何処かで気に入られているのではないだろうか?)しかし、リカルドの考えとは裏腹にルシアンは別のことを考えていた。(彼女は貴族令嬢ながら、今まで散々貧しい生活に苦労してきた人生を歩んできた。1年間位、俺の妻として何不自由ない暮らしを与えてやりたい。何しろ、この結婚で俺は彼女の人生を狂わせてしまうことになるかもしれないのだから)勿論、リカルドはルシアンの心の内も知らず……勝手に妄想を広げていくのだった。****「お帰りなさいませ、ルシアン様」ルシアンが屋
「もう……帰るわ。お茶もお菓子もいただいたし」これ以上話をしても埒が明かないと判断したブリジットは立ち上がった。「まぁ、もうお帰りになるのですか? もしよろしければ、私の部屋に寄っていかれませんか?」「はぁ!? な、何で私があなたの部屋に行かなければいけないのよ!」キッとイレーネを睨みつける。「いえ、もしよろしければ私と友達になっていただければと思いましたので」「冗談じゃないわよ! どうして私があなたと友達になれるっていうのよ! ふざけないでちょうだい!」怒りを爆発させるブリジットに、イレーネはハッと気づく。(そうだったわ、私は1年間のお飾り妻。来年にはここを去っているのだから、お友達になってもらうのは図々しいお願い。第一、それではブリジット様に失礼だわ)「これは大変出過ぎたことを口にしてしまいました。どうぞ、今の話はお忘れ下さい。何しろこの町に出てきたばかりですので、親しい友人もおりませんでした。そこでつい同世代のブリジット様とお友達になりたく思い、図々しいお願いをしてしまいました。申し訳ございません」そして深々と頭を下げる。「え……? ちょ、ちょっと……」あまりにも突然態度が変わったことでブリジットは焦った。イレーネの心の内も知らずに。(もしかして、私……強く言いすぎてしまったかしら!?)「もし、今度何処かでお会いしても、もう二度と今の様な図々しい願い事はいたしません。大変申し訳ございませんでした」「な、何もそこまで謝らなくたっていいわよ! 別に気にしていないから!」気が強いブリジットではあるが、彼女はそれほど性悪な女性ではなかったのだ。「本当ですか!?」途端にイレーネの顔に笑みが浮かぶ。「そ、そうね……ど、どうしても友達になってもらいたいって言うなら……月に1度位は会ってあげてもいいわ。私だって、何もそこまで了見の狭い女じゃないし」「え? で、でも……よろしいのですか?」「だからいいって言ってるでしょう!? きょ、今日は部屋に寄ることは出来ないけど……気が向けば招待状位……送ってあげるわよ!」「ありがとうございます! ブリジット様!」イレーネは嬉しさのあまり、立ち上がるとブリジットの手を両手でギュッと握りしめた。「え!? きゃあ! な、何するのよ!」慌てて手を振り払うブリジット。「あ……申し訳ございません。
「ちょ、ちょっとどういうことよ! ルシアン様の婚約者だなんて……! そんな話、初耳よ!」ブリジットは興奮のあまり、立ち上がる。「ええ、そうですよね? 何しろつい最近、私とルシアン様の婚約が決まったばかりなのですから」そのとき――「あ、あの……お茶とお茶菓子をお持ちいたしました」メイドのアナがワゴンに2人分のとびきりのお茶と焼菓子を乗せて応接室に現れた。「まぁ、アナ。どうもありがとう」ニコニコしながら声をかけるイレーネ。「い、いえ。では失礼いたします」アナはいそいそと2人の側に行くと、紅茶と焼菓子をテーブルに乗せ……チラリとブリジットを見た。「何よ?」ジロリと睨むブリジット。「い、いえ。何でもありません! し、失礼致しました!」ペコリと頭を下げると、アナは逃げるように応接室を後にした。「まぁ……美味しそうなお茶にケーキですね。ブリジット様、一緒に頂きましょう」「……は?」唖然とするブリジットにイレーネは声をかけると、早速カップに口をつけると笑みを浮かべた。「……まぁ。香りも素敵だし、味も最高だわ」「ちょっと待ちなさい!! あなたねぇ……よ、よくもこんな状態でお茶なんか飲めるわね!」ブリジットは興奮のあまり、髪の毛同様頬を赤く染める。「ブリジット様、このお茶本当に美味しいですよ? 温かいうちに飲まれたほうがよろしいかと思います」しかし、イレーネはブリジットの興奮する様子に動じることもなくお茶を勧める。「……なら頂くわ」(そうね。お茶を飲んで少し冷静になりましょう)ブリジットはおとなしく座ると、早速紅茶を口にした。それはとてもフルーティーな香りで、飲みやすい紅茶だった。「……確かに美味しいわ」「ですよね? それなら焼き菓子も頂きましょう……まぁ! とっても美味しいわ! この紅茶と本当によく合います。ささ、ブリジット様もどうぞお召し上がりになってみて下さい」イレーネがあまりにも美味しそうに焼菓子を口にするので、ブリジットも食べてみようと思った。ただし、強気な態度は崩さずに。「ふ、ふん。食べ物なんかで私がつられるとでも思っているの? こう見えても私は色々な美味しいスイーツを食べ歩いているのだから」そしてフォークで焼き菓子を口に運び……。「! 美味しいじゃない……」「ですよね? お茶も焼き菓子も最高に美味しいです
イレーネは上機嫌で型紙を当てて生地を裁断していた。「フフフ……こんなに素敵な布地にハサミを入れるなんて初めてだわ。今までは貰い物か安物の生地で服を作っていたから」 その時。――コンコン扉がノックされた。「あら? 誰かしら?」テーブルにハサミを置くと、イレーネは扉を開けに向かった。「お待たせしました。あら? あなたは確か……」扉を開けると、目の前にはメイドのアナが立っている。「はい、イレーネ様。私は本日、イレーネ様のメイドを務めさせていただきますアナと申します。よろしくお願いします!」元気よく挨拶をするアナ。「アナさんね? はじめまして。こちらこそ、これからよろしくね。でも今のところ、手伝ってもらうことは何も無いので大丈夫よ。何かあるときは呼ばせていただくわね?」笑顔でイレーネは扉を閉めようとしたので、アナは慌てた。「あ! ちょ、ちょっとイレーネ様! お待ち下さい!」「え? 何かしら?」扉をしめかけたイレーネは首を傾げた。「実は、ルシアン様に会いにお客様がいらしています。ですが、ただいまルシアン様は不在ですよね?」「ええ、そうね」「それで、代わりにイレーネ様がお相手して頂けないでしょうか? ルシアン様が不在の今、このお屋敷の代理主人はイレーネ様を置いて他にいらっしゃいませんので」アナの言葉にイレーネは少し考えた。(私はルシアン様と1年間の雇用関係を結んだだけの関係。けれど、それでも仮とは言え妻になるわけだし……)「分かりました、そういうことでしたらお客様のお相手をさせていただきます」イレーネはにっこり笑みを浮かべる。「本当ですか!? ありがとうございます! お客様は居間でお待ちになっております」「あまりお待たせするのはいけないわね。ではすぐに案内してもらえる?」「はい! イレーネ様!」「それで、どなたがいらしたのかしら?」イレーネは廊下に出ると、尋ねた。「はい。その方は……」アナはブリジットの名を口にした――****「……全く、いつまでこの屋敷の人たちは待たせるのかしら。今日はリカルド氏もいないみたいだし……あら? 美味しいお茶ね」ブリジットがティーカップに口を付けた直後……。「お待たせ致しました、ブリジット様」イレーネが居間に現れた。「え? あなたは誰?」突然現れた見知らぬ女性に、ブリジット
「ブ、ブリジット様。ほ、本日はどのような御用向きでこちらにいらっしゃったのでしょうか?」本日、ドアマンを勤めるフットマンがビクビクしながら作り笑いを浮かべる。「どのようなですって? そんなことは決まっているじゃない。ルシアン様に会いに来たのよ」きつい目をますます吊り上げるブリジット。「で、ですがルシアン様は本日から出張で不在なのですが……」「そんな嘘、通用するとでも思っているの? 今日こそ会ってもらうまで絶対に帰らないわよ! そんなことよりいつまで客をエントランスに立たせておくつもり? 早く部屋に通しなさい!」我儘伯爵令嬢、ブリジットは強気な態度を崩さない。「か、かしこまりました……」弱気なフットマンは心の中で泣きながら、しかたなくブリジットを応接間に案内することにしたのだった――****「何故、ブリジット様を居間に通してしまったんだ!?」リカルド不在の間、筆頭執事を努めることになった第二執事ハンスの声が詰め所に響き渡る。「そ、そんなことを言われても、相手はあのブリジット様ですよ? 断れるはずないじゃないですか!」半泣きになるフットマン。「全く……! 一体どうすればいいんだ? あの様子ではテコでも動かないだろうな……」事前にブリジットがいる部屋の様子を確認していたハンスは困ったように腕を組む。「それにしても、何故ブリジット様はルシアン様に会いにいらしたのかしら? もうイレーネ様という婚約者がいるのに……」メイド長がため息をつく。「それだ!」ハンスがパチンと指を鳴らす。「何がそれなんですか?」別のフットマンが尋ねる。「イレーネ様だよ。ルシアン様がいない今、あの方がこの屋敷の主人と考えてもおかしくないだろう? おまけに相手はルシアン様に想いを寄せているブリジット様だ。この際、イレーネ様に対応していただくのが一番じゃないか?」「なるほど! 言われてみればそうですね!」半泣きだったフットマンが手を叩く。「でも……大丈夫なのかしら……あの方は時々、大胆な行動を取られるから……」メイド長の顔に不安げな表情が浮かぶ。「だから、なおさらいいんじゃないですか。この際、イレーネ様がブリジット様にはっきり告げればいいんですよ。『ルシアン様は私の婚約者なので、もうまとわりつくのは金輪際、やめていただけませんか?』という具合に」妙に演
「おとなしく待っていてくれと言われたのだから、ルシアン様が戻られるまでは何処にも出かけずにいたほうが良いわね」ルシアンたちが出かけると、イレーネは少しの間思案した。「そうだわ、生地を沢山買ってきたのだから洋裁でもしましょう」そこでイレーネは鼻歌を歌いながら買ってきた生地をテーブルの上に広げて洋裁の準備を始めた。「どの色の生地で作ろうかしら……」イレーネは、うっとりしながら生地を見つめて笑みを浮かべる。ある人物が屋敷に近づいてきていることも知らずに――****――その頃。マイスター家の扉の前にはある人物が立っていた。「今日こそ、ルシアン様に会わせてもらうんだから! その為に今まで家で必死になってレッスンを受けてきたのですもの!」意気込んでマイスター伯爵家を訪れたのは、ブリジットであった。以前にリカルドに言い含められるように帰らされてから、彼女は家庭教師からの厳しいレッスンをサボることなく受けてきた。そしてようやく堂々と外出する権利を両親から得られることができたのだ。「ブリジット様、それでは私はこちらでお待ちしておりますので」ブリジットの御者兼、付き人をしている青年がエントランスに立つ彼女に声をかける。「いいわよ。ジョージ。あなたは帰りなさい。だって何時にこのお屋敷を出るか分からないじゃない」「え!? ですがそうなりますと、お帰りはどうなさるのですか?」「タクシーに乗って帰るわ」腕組みするブリジット。最近貴族令嬢の間では目新しいタクシーに乗るのが流行になっていた。「タクシーですか……?」ジョージと呼ばれた男性は首をひねる。「ええ、そうよ。この間アメリアと外出したときに、初めてタクシーに乗ったのだけど……」そこでブリジットは言葉を切る。何故なら、町で偶然出会った女性のことを思いだしたからである。その女性というのは……勿論イレーネのことだ。「……タクシーのせいでいやなことを思い出してしまったわ。全く、あの女……あんな貧しい身なりをしておきながらマダム・ヴィクトリアの店であんなに沢山買い物をして小切手を出すなんて……」「ブリジット様? どうされましたか?」背後から声をかけるジョージ。「いいえ、何でもないわ。とにかく、ジョージ。お前は帰りなさい」そう言ってシッシと手で追い払う素振りをするブリジット。ここで彼女に歯向か
朝食後、書斎に戻ったルシアンはリカルドを呼び出した。「ルシアン様。お呼びでしょうか?」「ああ。リカルド、今日、明日のお前の予定はどうなっている? 何か外出する予定でもあるか?」姿見の前でネクタイをしめながら、ルシアンがリカルドに話しかけてきた。「いえ? 特に外出する予定はありませんが……」「そうか、なら出かけるぞ。お前も準備をしてくれ」「え? 本日もですか? 一体どちらへ行かれるのです?」「祖父のところだ……俺に婚約者ができたことを報告に行くのだ。イレーネにはメイドが……まぁ、日替わりだがつくことが決定したのだから俺とお前が不在になったとしても……多分大丈夫だろう」「え? ええ……そうかもしれませんが、これはまた随分と急な話ですね。どうなさったのですか?」するとルシアンが眉をひそめた。「ゲオルグの奴に先を越されないためだ。一刻も早くイレーネを祖父に紹介し、俺をマイスター家の時期後継者として認めてもらわなければならないだろう?」「なるほど……確かにその通りですね。分かりました。では早急に用意してまいります。ですが当主様に会いに行かれるのでしたら、日帰りは無理でしょうね。何しろ汽車で半日はかかる場所にありますから」現当主であるルシアンの祖父は、半年ほど前に体調を崩して今はマイスター家の別荘で療養生活を送っている。「そうだ。幸い、明日から連休に入る。その間に祖父に会いに行こうと思っている。……全く、電話があれば話は早くて済むのに……」ルシアンがため息をつく。「……仕方ありませんよ。当主様にとって、電話はまだ目新しくて抵抗があるかもしれませんね。では、すぐに私も準備をして参ります」「用意ができたら、また部屋に戻って来いよ」「はい、かしこまりました」そして、ルシアンとリカルドは慌ただしく準備を始めた――****――11時「まぁ、今から『ヴァルト』に行かれるのですか?」イレーネは突然部屋を訪れたルシアンを前に目を見開いた。「ああ。君と祖父を会わせる前に、祖父と話をしてくるつもりだ。俺には君という婚約者ができたということ伝えにな」「ヴァルトは、美しい森林で有名な場所でしたよね。そちらにルシアン様のお祖父様がいらしたのですか」「そうだ。『ヴァルト』にはリカルドも一緒に連れて行く……だから、その……」ルシアンの歯切れが悪くなり、
「え? 専属メイドをつけて欲しいとイレーネさんが仰ったのですか?」ルシアンの書斎に呼び出されたリカルドが目を見開いた。「そうだ。夕食の席でイレーネが頼んできたんだ。だからリカルド。お前が彼女にメイドを選んでやってくれ」「え? 私がですか?」「ああ。……何か問題でもあるか?」「いえ、問題というか……メイド選出については、私よりもメイド長が適任だと思います。それに相性の問題とか、色々あるでしょうから最終的にはイレーネさん本人に決めて頂いた方が良いのではありませんか?」「なるほど……確かに言われて見ればそうかもしれないな」リカルドの言葉にルシアンは頷く。「よし、それではリカルド。お前の方からメイド長に伝えてくれ」「はい、分かりました」「出来るだけ、早急にイレーネに専属メイドをつけるように言うんだぞ?」(彼女は大胆な性格だ……野放しにしておけば、何をしでかすか分からないからな)念押しするルシアン。「ええ、私もそのつもりでした。お任せください」(イレーネさんにお目付け役のメイドがいれば安心だ。これで我々一同ハラハラすることが無くなるだろう)口にこそ出さないが、ルシアンもリカルドも心の中で似たようなことを考えるのだった――****翌朝6時。イレーネはいつものように部屋で朝の支度をしていた。長い金の髪をブラッシングしていると、突然部屋の扉がノックされる。――コンコン「あら? 誰かしら?」ブラシを置くとイレーネは扉を開けに向かった。「はーい、今開けますね……え?」扉を開けたイレーネは驚いた。何故なら目の前にはメイド長を筆頭に、20人近いメイド達が勢揃いしていたからである。「あの……これは一体……?」イレーネは目をパチパチさせると、メイド長がにっこり微笑んだ――****――8時「イレーネ……今日は遅いな。いつもなら7時半にはダイニングルームに現れるのに」テーブルに向かい、新聞を読んでいたルシアンは壁の時計を見た。「まさか、また何か問題でも起きたのか?」(何しろ彼女の行動は全く読めないからな……部屋に様子を見に行った方が良いだろうか)思わず立ち上がりかけた時。「ルシアン様、おはようございます。お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした」イレーネがダイニングルームに現れた「あ、ああ。おはよう。それでは食事にしようか